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過ぎたるは及ばざるがごとし

言わなくてもいいことを言う人、自分の意見を主張する人、
晒す人、スルーできない人、何でもかんでも書き込む人。

私はネットを利用する時、なるべく穏便に事を済まそうとする方なので、
自分の利用しているページが荒れたりすると妙にへこむ。
特にガチの対決で、二人が自分のあらゆる知識を披露して
小難しいことを言っているのをみると、とても嫌な気分になる。

あそこの人達は知識自慢に忙しい。
マナーができていない事に気が付かず、
「マナーを知らないのは君たちだよ」と言わんばかりに自分を正当化。
ああ、恥ずかしい。
恥ずかしい大人が世の中にはいっぱい。

日本には譲り合いっていうすばらしい言葉があるのにね。
言葉でしか表現できないネットの世界は、
日常よりも増して気をつけなきゃいけないことばかりなのに。

言葉に頼らなくてもちゃんと通じるものが人間にはあるでしょ?
言葉にしてもしなくても、思いは同じことだってある。
具現化したものじゃなきゃ信用できない世の中なんて。

それに、傷の舐めあいで安心しようとか、同じようなひとを発見しただとか、
そういう狭い範囲で辛さから逃れようとしてしまう事ってかなり危ない。
本質的なものはどんどん脆くなっていく。

自分がネットの世界にはまっているからさ、そういう事がとっても怖いよ。

ネット社会が2ちゃんねる化していく日本の未来は本当に恐ろしい。
それから動物愛護も恐ろしい。
(愛護団体の事ではなく、ある種に対してのみの宗教的なかわいがり方。
私のちょっとした体験からの言葉なのであまり気に留めないでください。)

とにかく何事も行き過ぎは恐ろしいってこと。


以下故事百選より抜粋。


過ぎたるは、なお及ばざるが如し

何をするにも、いき過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、
むしろ不足ぎみや、不満足な状態と変わらないのです。
過度になってしまうようであれば、むしろ控え目にしている方がよろしいようです。


 孔子の高弟に子貢という人がいました。彼はなかなかの人物でしたが、
人物評が好きで、孔子はややもてあまし気味のようでした。
 あるとき、子頁は同門の2人を比較して、「どちらが賢明ですか」と尋ねました。
孔子が「A氏の方は度が過ぎているし、B氏の方はやや不足ぎみだ」と答えると、
子貢はすかさず「すると、A氏の方が優れているのですね」と重ねて尋ねました。
これに対する孔子の答えが、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」だったのです。
 子貢はもちろん、学問がよくでき、しかも頭の鋭いA氏の方がB氏より
優れているという返事を期待していたのでしょうが、孔子は期待に反して、
「おなじようなものだよ」と答えたのでした。
この返事のなかには、ものごとはなんでも、行き過ぎの状態よりもむしろ、
つつしんだ方がよいという暗示がこめられています。
とりかたによっては、子貢の才気を押さえるための言葉かも知れません。

中略

真面目なことは美徳ですが、あまり真面目すぎると、
はためいわくになることが、少なくないようです。
 さらに、問題なのは「賢すぎる」ということではないでしょうか。
「賢明である」ということは人にとって大切な長所であり、
人間としては是非とも賢くなりたいと願うのも当然といえます。
 しかし、賢さを真に生かすのはなかなか難しいようで、
下手に賢さを振りまわすと、「小賢しい」ということになり、
これも人間関係を損ないます。




これは!!
私が知識をうらやましがる事に対しての彼の言い分も最もな気がしてくる。
ということは、
「自分のあるべきものを他との関わりの中でうまく引き出せる人」
ってのが本当に頭のいい人なのかな。
さてどうなのかな。
聞いてみようかな。みないかな。

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2010年5月29日、4歳年下の彼と結婚。翌年9月26日に男の子を出産しました。

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